現実に生きる私たちとしては・・・時に、
あこがれや妄想に近い形で『違う世界』のコトに意識を向けたりもします。
現実逃避という意味ではありませんが、『○○だったらいいのになぁ』という感情が芽生えることです。
あなたは、ありませんか?
毎日、日々『現実世界』にちゃんと向き合えていますか?
現実世界は厳しいものです。
だからこそ真剣に生きていくべきものなのかも知れません。
この世界は絵本のようなもの、絵は楽しむけど、原文を一行一行読む人はいない!?
この言葉は、ノーベル文学賞を受賞した人の言葉らしいです。
うーん、含蓄が凄いです。
みんな、現実の厳しいところには目を向けようとしないもので、
浮世の世界に浸っていたいというのが(誰しもの)本音なのかも知れません。
または無意識にそれを選択するのが『人』なのかも知れません。
ということは・・・
そういった人とは、違った思考・違った行動をすれば、『ありふれた人生』とは
『違う人生』を創造できる、ということになりませんか?
人生の味わいのために『苦労』をしなさい、というわけではありません。
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でも、苦労があった方が(反動としての)喜びが大きいということもあります。
そして、苦労の価値をわかっている人は、浮世的な人生を求めたりはしないものでもあります。
人生の『本質』というか、『味わい』のためには、『苦労』も必要かも知れません。
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あなたにとってのマスター(師)と、コメンテーター(批評家)は違う!
世のなかには批評家と呼ばれる人たちが存在します。
テレビ・雑誌の中はもちろんのこと、私たちの身近にも、それこそ友だちの中にも
見当たりませんか?
いっけん、あなたの悩みや困っている点について親切に? アドバイスや助言をしてくれる
ような人の中にも、そういった人はいませんか?
あなたに親身になって相談に乗ってくれる人の中にも、その人の助言が本当に役立つか、
というよりも、あなたにとって『適切なのか』という点が疑問点がつくアドバイスもある
のではありませんか?
まあ、あなたの悩みや愚痴を聞いてくれるだけで『いい』『スッキリする』というので
あれば問題ないかも知れませんが。
実際には、助言をくれる人が『いうコト』と『やるコト』には格段の違いがあるからです。
現実にその人が、『そうするのか』『そうすることができるのか』というのは別問題です。
たとえが悪いかも知れませんが・・・
世の中のコンサルタントが『責任をとらない』というのは、ある意味いっしょかも知れません。
最終的に責任をとるのは経営者です。
その会社の人間です。
社外からアドバイスする人間は、責任をとりません。
皮肉なものです。
(逆に、だからこそ『成果報酬』という仕組みが存在するのかも知れません)
素晴らしい名言を教えてもらいました。
世の中には「私のいうとおりにしなさい」という人はたくさんいます。
しかし、「私のするようにしなさい」と言える人はほとんどいません。
[br num=”1″]【出典:ハワード・W・ハンター(某キリスト教の歴代大管長)】
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あなたに何も言わなくても、あなたに『背中』で『生きざま』で見本を見せてくれる人こそが、
あなたにとって必要なマスター(師)となる人物なのかも、といえるのではないでしょうか。
言葉だけでなく、場合によっては『態度』『行動』であなたに手本を示してくれる人こそが
マスターだと思います。
人生において、師(マスター)を持つことは、実はとんでもなく、大切なことなのです。
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銀行定年退職後にミネラルウォーター等をネット通販しています。
私の通販商品(ミネラルウォーター)のくちコミをしていただけませんでしょうか。(継続報酬)
継続報酬とさせていただいております。
賢者の石とは? 錬金術師が鉛を金に変えるための触媒?
私はロールプレイングゲームをすることはありませんし、そもそもが
青春時代にゲームなどはありませんでした。
社会人になる少し前に、『インベーダーゲーム』が日本中で大流行したのは覚えていますが、
自宅でやるゲームではありませんでした。
さて、その『賢者の石』というものですが・・・
錬金術師の世界では『触媒』となるものです。
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では、人生における『賢者の石』とは? 何が当てはまると思いますか?。
人生哲学の中で、賢者の石と呼ばれるものは・・・『満足』だそうです。
『足るを知る者は富む』というヤツですね。
京都の竜安寺には『吾唯足知』という碑があります。
ちまたでは、『吾唯知足』といわれたりもしています。
まさに読んで字のごとし、です。
決して、今ある境遇に満足して生活しなさい、というものではありません。
今あるものに、
たとえ、わずかでも、
満足できる心が『幸せ』だ、ということです。
どんなに毎日ご馳走を食べても『満足できない人』がいます。
逆に、ご飯とお味噌汁だけでも喜べる人がいます。
決して、境遇の違いではありません。
『心』『気持ち』の問題です。
満足できない気持ち・感情・心だと・・・決して『幸せ』を感じることはできません。
これまでの人生も、境遇も、経験も・・・関係ありません。
あなたの『心』が『足る』を感じるのです。
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つまり、満足感は、満足は、あなたの心が決めている、ということになります。
ささやかな人生に満足しなさい、ではありません。
幸せのために『満足』を感じてみませんか? ということです。
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